History

庭先で飼い始めた20頭から始まった、豚との暮らし
小林ファームの始まりは、1960年代。
小林啓太郎、鈴鹿山麓の裾野、三重県亀山市にある自宅の庭先で20頭ほどの豚を飼い始めたことからでした。
当時の養豚は、豚肉を売るのではなく、農耕のための堆肥生産や残飯処理が目的であることがほとんど。
小林家ももちろん兼業農家であり、養豚一本になる気は毛頭ありませんでした。
それでも、景太郎の孫である勝彦や恵子にとって、豚はいつでもそばにいる、当たり前の存在。豚の上にのせてもらったこともあったといいます。
勝彦の父・啓治の代になってからは、国の食糧増産策や食生活の洋風化などが後押しとなり、豚肉の需要が高まり、養豚業界は急成長。
小林ファームも飼育頭数を増やし続け、1970年代には専業農家になることを決め、より大きな豚舎づくりを始めます。
といっても業者にお願いするわけでもなく、一からすべて手作り!
当時小学生だった勝彦や恵子も含め、家族総出で、建物を建て、ペンキをぬり、見様見真似で豚舎づくりを行ったのでした。
豚との暮らしが当たり前だった勝彦にとって、養豚農家になるという選択肢は自然なものだったといいます。
高校卒業後は、アメリカの養豚農場に2年間の修行へ。
広大な敷地での養豚は、日本と環境が大きく異なりましたが、豚を育てる基本を身につけ、意識を高める貴重な経験となりました。


データをいかした環境改善や飼料研究で、品質と効率を向上
日本に戻り、養豚場を継いだ勝彦は、おいしい豚肉づくり、効率のよい飼育を目指し、
様々な改革に乗り出します。
まだIT技術なども発達していなかった1990年代から、データ分析を採用。
コンサルティング会社の協力のもと、グループ農場とともに、飼育状況を数値化して分析し、豚を健康に育てる環境改善に着手し、死産や事故死する子豚は劇的に減少していきました。
もちろん、データだけでなく、自分たちの目でしっかりと豚を見てあげることも大切です。
「ごはんはおいしく食べれているだろうか」「暑かったり寒かったりしていないだろうか」毎日毎日豚たちと過ごすうちに、健康状態を見極める“確かな目”も自然と養われ、病気を未然に防げるようにもなっていきました。
飼料や豚の品種も研究を重ね、その時代に合ったものを採用。
効率よく、品質のよい豚を育てることができるようになり、2002年には、高水準の飼育と意欲的な取り組みが評価され、三重県内で初めて全国優良畜産経営管理技術発表会で農林水産大臣賞を受賞します。
経験を重ねるごとにわかったことは、「心を込めて健康に育てれば、お肉はおいしくなる」ということ。
特別なことはいりません。豚を想い、健康に気遣うという基本的なことこそが、おいしい豚肉づくりには欠かせないのです。



直販から生まれた、お客さまとのつながりを大切に
ある時、他の農家から「ぜひ直接豚肉を売ってほしい!」と言われ、豚肉の直販を始めます。
2008年には、米や卵など複数の農家が農産物を持ち寄り、消費者に直接販売する市場もスタート。
消費者が“量より質”を求めるようになった時代の変化もあり、ファーマーズマーケットの先駆けとして、新聞などのメディアにも取り上げられ、注目を浴びます。
実際に豚肉を口にするお客さまと対面することで、さらなる品質向上へ意識が高まったことは言うまでもありません。
勝彦の妻・陽子も、お客さんによりおいしく味わってもらいたいという想いをもち、保存方法やレシピなどの情報発信、料理教室の開講など積極的に活動し、お客さまとの信頼関係を築いていきました。
一途においしいものを作れば、お客さんはきっとついてきてくれる…
勝彦の思い通り、小林ファームの豚肉は次第に口コミで人気を集め、2014年1月に精肉工房の役割ももつ直売所・イベントスペース「工房とんとん」を開店します。
現在は、年間出荷頭数8,000頭にまで成長し、直販でもたくさんのお客さまのもとへ豚肉をお届けするようになりました。
一方、勝彦の妹・恵子も、2010年に東京・千代田区神田小川町で豚肉料理店「T.dining」をオープン。
アンテナショップとして小林ファームの肉のおいしさを発信し始めます。
多くのファンに愛されることとなった私たち小林ファーム。
現在、勝彦の息子・優真もまたアメリカでの修行を終えて、農場でよりよい豚肉づくりに邁進しています。
そして、恵子の息子・秀宜もまた、T.diningの二代目店長に就任。
よりおいしい豚肉料理を研究し、日々お客さまにお届けしています。
心を込めて健康に育てれば、お肉はおいしくなる。
おいしいものを作れば、お客さんはついてくる。
私たち小林ファームは、変わらないその信念を大切に、お客様に寄り添い、豚たちに寄り添い、これからも一途においしい豚肉を作り続けたいと考えています。